いぐらの館

阿知須の居蔵造

阿知須の居蔵造は、『町史』によると「延享2年(1745)250戸、文化5年(1808)134戸という大火災の経験から特別な許可が下がり、お金持ちはいぐら屋と称する瓦葺・大壁(いぐら)造りの家が建てられるようになった」とある。 この時代の民家は、藁葺きで板戸や障子であったと思われ、風の強い日に、ひとたび火事が起きれば大火になるであろうことは容易にわかる。

 

居蔵造のいわれ

阿知須の居蔵造は、廻船業を生業とする人たちが建てた、瓦葺き漆喰大壁の防火機能を有した住居である。

居蔵造の謂れは定かでないが、『風土注進案』によれば、阿武郡宇田浦の本陣金子幸蔵所が、天保末年(1840年)頃には「居蔵造」と称されていた。そのほか県下各地に古い瓦葺土蔵造の家が残っているが、「居蔵造」の名称は見当たらない。

しかし、岩国・周防大島・柳井・平生・宇部・長門地方など海岸部において、「いぐら」や「いぐらや」の名称が方言の中に残っていることが、報告されている。

 

企画・制作 あじなまち編集局

阿知須郷土史研究会

山口市阿知須公民館

 

★居藏造マップは、旧中川家住宅阿知須「いぐらの館」(マップ1番 中川邸)を中心に体力にあわせて自由にご散策ください。

関連記事

ページ上部へ戻る